2025年9月26日に公開された『Aqours Documentary』を鑑賞してきました。
このドキュメンタリーを観て、感じたことや考えたこと、思い出も含めて書いていきます。
まだ観てない方は内容に触れる部分もあると思うので、ご注意ください。
率直な感想
一言で表すと、しんどかった。
ドキュメンタリーなので、もちろんAqoursメンバーの思いがたくさん語られます。
背負ってきたものや、世間の声、メンバーへの思いなど、色々語られますがあまりにもしんどい。
僕がラブライブと出会ったのは、2015年の終わりごろでアニメ観て、スクフェス始めて、直後にμ'sのファイナルライブがありました。
そんなタイミングだったのもあり、正直μ'sのことってよく知らないんですよね。
そんなことより、活動が始まったばかりのAqoursの方が気になっていて、このタイミングで知れたのラッキー、と思っていました。
しかし、ネットや周りの声はそうではなく、Aqoursに否定的な意見がめちゃくちゃ多かったことを覚えています。
何をそんなに叩かれているのか、正直意味が分かりませんでした。いや、今でもよく分かりません。
何かが終わって、何かが始まる。こんな当たり前のことが許されないことに違和感があります。
そして、これらの声は当然キャストの皆さんにも届くわけですごく傷ついていたし、恐怖すら感じていたようです。
最初の東京ドームあたりから変わったような気がしますが、活動初期はμ'sのことに触れることすら禁止とされていたとか。
今の後続シリーズでは、ラブライブが好きでラブライブの声優になったことを当たり前のように語っているし、みんな当然のように受け入れている。でもかつてはそれが許されなかった。
そんな理不尽な中でずっと先頭を走ってきたのは本当にしんどかっただろうな。想像もできないくらいに。
それでもどんどん大きくなっていって、まだまだ行くぞ!って時に始まってしまった新型コロナによる時代の変化。
予定されていた、静岡で野外ライブと6thの5大ドームツアーの中止。受け入れざるを得ない、どうしようもない、どうすればいいのか、心が折れた。
そりゃそうですよね。ドームツアーができるアーティストなんて本当にごく一部なわけで、その権利を得たのに、誰も悪くないのになくなった。静岡での大型ライブもAqoursだからこそやりたかったはずなのに直前で中止。あまりに失ったものが大きかったと思います。
僕も静岡つま恋のライブはチケットも新幹線もホテルも取ってたのに全キャンセル。ドームも大阪、福岡、東京は行けるようにしようと思ってたのになくなった。結構落ち込んだもんなあ。
時間をかけてきた演者の皆さんが心が折れるのは、仕方ないと思います。そしてこのドキュメンタリーで語られたのは、フィナーレのきっかけがここにあったこと。落ち込むメンバーに対してAqoursを10年頑張ってみませんか、そんなことがチームから伝えられたそうです。
このときには終わりに向かって動き出していたんですね。
コロナ渦でも色々供給してきて、ようやくドームツアーのリベンジである6thライブを開催できたのが2022年2月。会場は追加公演含め3会場になってしまいましたし、当時はまだ声出しもダメで観客数制限でフルキャパではなかったし、今思っても万全ではなかったなと思います。
そしてこのあたりから僕もAqoursがそう遠くない未来、終わるのかなと感じてました。たぶん同じように思っていた人も多いんじゃないかな。
アニメは既に終わって数年経っていること。後続のプロジェクトも増えてラブライブをAqoursだけが背負う必要がなくなってきたこと。それぞれのメンバーを他の作品で見ることも多くなり、少し前のAqours全振りとはいかないこと。メンバー絞っての出演が増え、そもそも9人そろえるのが難しいんだろうな。いつまでもアイドルとしてステージに立ち続けるのは現実的ではないこと。
理由はたくさんありますが、一番は何となくそんな気がした。
そして2024年6月末に、発表されたフィナーレライブの告知。ついに来てしまったかと思ったと同時に、思った以上に続いたなとも思いました。
別に早く終わって欲しかったわけではなく、いつまでも見ていたい気持ちはあるけど数年間何となく感じていたた終わりの気配が、なんかどんどん供給があって気のせいだったのかなとも思っていたので。今思えば10年と言うキリのいいタイミングを待ってただけなんだな。
ドキュメンタリーではフィナーレに対する思いも語られていて、肯定的な人も、嫌だという人も、ファンの中にもいろんな思いがあったけど、それは演者やスタッフも同じことで、いつまでも続けたい人、区切りをつけたい人、様々な思いがありますよね。
この点については僕は肯定派です。当たり前の話ですがキャストもファンも10年という年齢を重ねてきたわけで、多くの人がライフステージの変化があっただろうと思います。キャストもずっとステージで歌って踊れるわけじゃない。ファンもずーっと変わらず追いかけていけるわけじゃない。
キャラクターコンテンツである以上、アニメが終わり何年も経って、正直応援するモチベーションを失いつつありました。イベントやコラボもたくさんやってましたが、東京でやったり沼津だったり、地方からだとそう簡単には行けないですし、止まっているように感じていました。
当然寂しさはあります。フィナーレライブが終わった後も、もうこの9人のステージを生で現地で見ることはないのかなと惜しい気持ちにもなったし。
それでも一旦ここで終幕を迎えたのは必要だったと思います。言い方は悪いかもですが、ダラダラ続けても応援し続ける人もたくさんいるでしょうが、きっと僕は何となく離れていってしまっただろうし、同じような人もまたたくさんいただろうと思います。
好きなものを好きでいるうちに区切りをつけてくれたことには感謝です。
ドキュメンタリー内ではリハの風景もありました。見た感じは別に問題なさそうに見えるのに、メンバーの中には違和感というか、何か違うと感じている人もいたようです。物語ではないので答えが示されたわけではないけど、何かすれ違い?気持ちが一つじゃない?何か違うらしいです。
9人がそれぞれの時間を重ねてきたから、どれだけ一緒にいた時間が長かろうが結局他人だからそこは難しいんじゃないかなと思うけど。でも気持ちの問題だから、そこには踏み込めなかったようです。
どれだけ仲が良かろうと、家族だろうと触れられないところがあるのと同じなんでしょうね。
杏ちゃんこと伊波杏樹さんは最後のリハも何か納得しかない様子だったり、他のメンバーもそれは感じていたり。
当然このドキュメンタリーもほんの一部でしょうから、その裏には何かあるのかもしれないですが。
でも、あのフィナーレのステージに至るまでの間にも色々あって、それを抱えたままやり切ってたんだなと思いました。
何とも言えない気持ち。
それでも本番のステージやドキュメンタリーで撮られてたステージ裏の様子とか、すれ違ってたのかもしれないけど、そんなに気持ちが離れてしまっているようには見えなかったように感じました。
それは安心しました。じゃないとあの日の言葉も感じたことも嘘になってしまう気がするから。あれが本当のものだったらそれでいいかなと思います。
解放
映画を観終わってずっと思っていること。
ドキュメンタリーで語られたこと、撮られたものは影の部分だと思います。
ステージの上やカメラの前が陽の当たる部分だとすれば、日の当たらない大きな影。そしてエンタメである以上、別に俺らが知らなくていい部分。
お金と時間を使って楽しい気持ちになって、それでOK。エンタメってそういうものだから。中には裏側まで知りたいという人もいるでしょうが。
だったらなぜこの映画が作られたのかなと思うと、Aqoursのメンバーを解放するためだったのかなと思いました。
これは完全に想像なので、一意見として読んでください。
始動当初からラブライブの既存ファンからのバッシングを受け続けてきたこと。今と違い、稼働グループがAqoursしかいなかった時はAqoursがとにかくラブライブを背負うしかなかったこと。その後、後続グループが出てきても長らくAqoursが先頭を走っていたように思います。
間違いなく、今のラブライブシリーズがあるのはAqoursの功績だと思います。ラブライブの始まりはμ'sだったけど、シリーズにしたのはAqours。
これは絶対そう。これは譲らないです。あの逆風の時代に彼女たちが折れてたら、もうラブライブは過去のものだったと本気で思っています。
だからこそ彼女たちは最初からずっと『ラブライブ』という看板を背負ってきた。看板と言うより呪縛の方が自分的にはしっくりくる。
でももうその必要はない。グループもいっぱいあるし、キャストもたくさんいる。今は、「ラブライバー=Aqoursファン」じゃない。
もう降ろしていいよ、そう僕らの中にも思う人が少しでもいてくれるようにあえて作ったのかなと。
『ラブライブ』の呪縛からAqoursを解放する、そのためのドキュメンタリーだった気がします。
だから、ポスターにもエンドロールにも「ラブライブ」の文字はありません。
まあ本当の意味はどこにあるかは分かりませんが、答えなんかなくて、きっと受け手が感じたすべてがあっていて間違っている。
ドキュメンタリーだからね。正解なんてないですよね。
終わった感は出してるけど
フィナーレを持って単独ライブを終え、ドキュメンタリーもやって終わった感出しているもののめちゃくちゃ動いてますけどね。
ラジオは変わらず続いてる。地元愛まつりもやるし、ユニットでフェスに出たり、全然終わらん。これは元々言ってたことで、単独ライブが最後なだけでまだまだ展開はあるよと。
なんだかんだ動きがあってくれるのは嬉しいですね。
フィナーレを終え、ドキュメンタリー公開を経て、ある意味解放された彼女たちのこれからの活躍が楽しみです。
次はなにが来るんだろう♪
